ハリケーンと宇宙戦争

 ハリケーンの避難写真。車が連なり、逃げてゆくその写真を見て、はからずも想起したのは宇宙戦争の避難シーン。スピルバーグ宇宙戦争は、その被害描写が、異様なほどに鮮烈で暴力的な映画だったことを思い出す。あれほどの巨大な破壊の前に、逃げ回ることしか出来ない主人公。その姿は、H.G.ウェルズ原作の古典的な物語の破滅的な馬鹿馬鹿しさとは裏腹に、非常にリアルだ。
 何かを、(そこでは自分の子供を)守るために、逃げること、つまり勇ましく自負心を鼓舞するがゆえに危険なだけの「積極的な戦い」にあえて背を向け、*1より困難な闘いを持続すること、生き抜くこと*2
 映画から何がしかのメッセージを読み取るという行為は、作品の矮小化をもたらすだけの陳腐な試みに過ぎないと、十分に自戒の念を込めつつも、あの映画からメッセージを受け取るとしたなら、そんなところだろう。
 ハリケーン、台風、地震、(或いは、戦争)。巨大な破壊をもたらすものの前にヒトはあまりにも無力で、頼りない存在でしかない。あらゆるインフラが引き剥がされ、剥き出しとなった生に直面しながらも、まだ、何がしかの戦いが可能なら、それはただ、生き抜くことそれ自体に向けられた戦いであって、決してそれ以上のことは、望めそうにはない*3
 被害が、最小限に抑えられることを今は、すこしは祈ろうと思う。

*1:そのために、そのような戦いに赴こうとする人物の、殺害さえ密かにおこなうトム・クルーズの姿は、やはり評価の大きく分かれるところではあるのだけれど。例えば「ゼイリブ」のあの瞠目すべき、サングラス・ファイトの演出とは対極に位置するといってもいいかもしれない。

*2:その一方で、アメリカ合衆国にさえ、逃げることすら選択できない人々が、多数いたし、恐らく今もいるということも忘れることはできない。

*3:ただし、別の観点から見るなら、不十分な防災対策と財政難の関係性などについて、なにかしら現状に対する建設的なかたちでの批判が、必要なのではないかと思う。「不十分 防災対策 財政難」でググるだけでもいろいろと考えさせられる。